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赤と黒の話とか

ACミランの話を中心に、サッカーの話題を書いていく予定。基本的には海外記事の内容を元に書いていくつもり。必要に応じて英語記事の翻訳も。

【海外の反応】ブリーチャーレポートが選ぶ『サッカーの歴史において影響力のあった15人の選手』という記事の中田英寿の部分全訳&その他の選手についてもちょっとだけ訳

海外の反応】ブリーチャーレポートが選ぶ『サッカーの歴史において影響力のあった15人の選手』という記事の中田英寿の部分全訳&その他の選手についてもちょっとだけ訳

http://bleacherreport.com/articles/1442739-15-most-influential-players-in-soccer-history

ブリーチャーレポートが『サッカーの歴史において影響力のあった15人の選手』を選定し、その中に中田英寿が選出されたというニュースがあったので、中田英寿部分を全訳

また、その他気になる部分も少し訳します。

内容は、続きを読む、で。


まず、中田英寿部分の全訳、といっても短いですが。

中田英寿
2000年代初期、最もアイコニック(象徴的)な選手の一人だった、中田英寿はアジア圏にヨーロッパのサッカーを広く行き渡らせた。

日本人スーパースターである中田は、ペルージャやローマなどで活躍したイタリアの地で大成功した。そのキャリアは急激に減速していき、30歳を前にして引退したが、中田は、アジアの視聴者層を開拓していった。彼らは、中田がプレーするチームではなく、彼の動きそのものを追いかけていた。

日本代表として77試合に出場し、三度のワールドカップでプレーした彼は、そのピーク時には、経験豊かで、素晴らしいプレーヤーだった。また、後に数多くの日本人選手がヨーロッパに移籍するきっかけとなった。


中田英寿のセリエAデビュー戦、すごく記憶に残ってる。生中継で観てて、メチャクチャ興奮した。ユヴェントス戦だったし、まさか2ゴールをあげるとは。PKがひとつあって、それを決めていれば、ユヴェントス相手にハットトリックを達成したはじめての選手になるところだったので、その時にPKを担当した選手がすぐに放出されるなんてことも起こりました。

次にボスマン部分の訳。

【ジャン・マルク・ボスマン】
ルールブックを作った存在。
ジャン・マルク・ボスマンは、1990年代半ばに、選手とクラブの間の移籍の扱いや契約を変化させた男だった。それは、彼がスタンダール・リエージュとの契約が切れた後にクラブを移ることができるかどうかについて、訴訟を起こした時のことだった。

長期に渡る訴訟を経て、裁判所は選手に有利な判決を下し、それ以降現在に至るまで、選手は既存の契約が切れた後にはライバルクラブとの新たな契約についても交渉することができるようになっている。

そのことが選手に対してそれまで以上の権力を与え、クラブはフリートランスファーで選手を獲得することができるようになった。マルクス・バッベル、ミカエル・バラック、ソル・キャンベルなどがその例だ。また、代理人は、金を稼ぐことにさらに集中するようになった。

ボスマンの勝訴以降、サッカーに携わるすべてのことに対して、非常に広範な影響を及ぼし続けている。


ボスマンについては、ちょうどサッカーを一番観ていたくらいの時期で、裁判の行方がどうなるのか、ものすごく気になっていた記憶があります。当時は今と違ってインターネットも使えない時代だったので、雑誌くらいしか情報はなかったけど、必死で情報を探して。ボスマン一人でこんな大きな裁判が戦えるわけもなく、当時チェルシーにいた、フリットやヴィアッリがバックアップしていました。勝訴という結果を受けて、EU圏内の選手であれば、国籍に関係なく出場できることになって、ユヴェントスが当時強かったアヤックスを全員獲得して、そのまま戦うこともできるようになりました、みたいな記事が出ていたのを覚えてます。当時はさすがにそんなことないだろうな、と思ってたら、数年後、ファンハール時代のバルセロナがアヤックス化していってちょっと怖かった。

続いて、ゾラ

【ジャンフランコ・ゾラ】
今日のような100億ポンドを稼ぎ出すほどの産業となる以前、黎明期のプレミアリーグにおいて、イングランドサッカーのトップリーグは、ダサいデザインのユニフォーム、みすぼらしいピッチ、出来るだけ高く、また力強くボールをクリアする役割を与えられた丸太のような足のミッドフィールダーであふれかえっていた。

才能のある選手や、荒々しさよりも美しさを求めるような存在がいなかったのも当然だ。しかし、現在のような9番的な役割を担う選手を置かなかったことも確かだ。

ジャンフランコ・ゾラのような選手を獲得し始めたことによって、移籍市場における監督やチェアマンのアプローチが急速に変化し、技術的な優位性と給料の安さを求めるようになった。その結果、プレミアリーグに外国人選手が大量に流入し始めた。

イングランドのサッカーにとって、これが結局のところ良いことなのか悪いことなのかについては、今なお議論の激しいところだが、プレーの水準とエンターテイメント性を引き上げてきていることは確かだ。

実は、この項に関しては、デニス・ベルカンプかジャンフランコ・ゾラのどちらになる可能性もあった。


パルマからゾラが移籍した時はビックリした。『イタリアからイングランドへ』って当時はピークを過ぎた選手のたどる道だったから。当時パルマの監督だったアンチェロッティがゾラを左ミッドフィールダーとして起用しようとしたことにゾラが反発して出ていったんだよね。

最後に、ミラニスタとして、ジョージ・ウェア

【ジョージ・ウェア】
サッカー界における偉大な存在のひとり、ジョージ・ウェアは、1995年、FIFA最優秀選手賞に輝いた初めてのアフリカ人フットボーラーとなった。

彼はまた、アフリカ最優秀選手賞を3度受賞、フランスやイングランドに加え、ACミランで5年間を過ごして、その3カ国すべてで重要なタイトルを獲得した。

母国であるリベリアでは、ウェアは恵まれない子どもたちを支援するための活動に甚大な貢献をしており、最近は政治家として、これまで以上にリベリアを救うことを目的としている。

元ストライカーのウェアは、スポーツに関してだけでなく、社会的な意味においても英雄として多くの人々の尊敬を集めており、影響力を持つ人物であることは間違いない。


ジョージ・ウェア、好きだったなあ。移籍してきた最初のシーズンは本当にウェア頼みなところのあるサッカーだったけど、それはそれで面白かった。ラツィオ戦でのいわゆる『一人スルーパス』とかすごかったなあ。『George Weah Lazio』で検索すると観られると思うので、興味のある方は試してみてください。

今回の訳はこんな感じで終わり。結局ひとりごとみたいになっちゃったけど、こういう記事好きです。
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テーマ:サッカー - ジャンル:スポーツ

コメント

奥寺・・・

  • 2012/12/24(月) 11:32:42 |
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  • #-
  • [ 編集 ]

中田は能力が衰えたというよりも、
トッティとのポジション争いに負けただけでしょ?
途中出場でも、ちゃんと活躍してたし・・・。

  • 2012/12/24(月) 16:38:15 |
  • URL |
  • #-
  • [ 編集 ]

トッティとのポジション争いは普通に負けた。
能力が衰えたってのは、股関節やってから後のことでしょう

  • 2012/12/27(木) 13:34:07 |
  • URL |
  • 名無しさん@Pmagazine #-
  • [ 編集 ]

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